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Column Last up date:2005.10.07 |
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ヨーロッパで世話になろう。 ーローマ編ー |
2005年12月25日 |
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まずはローマでの最高の5日間をサポートしてくれたマサさん、サオリさん、アイコさんに感謝!!3人は年末の忙しい時期にも関わらず最大限のもてなしで居心地の良い空間と時間をくれた。
実はローマは2度目。兄のローマ滞在時、に一度母親と訪れた事がある。
当時兄は勤めていた会社を辞め、いきなりイタリアに渡ったかと思うと、観光ビザでの滞在期限を全く無視しローマに住みついていた。その兄が日本から単身イタリアに乗り込んだ2日目、ローマ・テルミニ駅のネットカフェで話しかけたのが、今回お世話になったマサさん、その人である。右も左もイタリア語も分からない兄をマサさんは部屋に連れて帰り、寝床を与え、語学学校を紹介してくれたり、いろいろ世話をやいてくれた。結局兄は一年弱ローマに滞在した。マサさんは途中一旦帰国。改めて戻った後は、仕事を得、今もバリバリ働いている。ナイスコンビのサオリさんと一緒に。ルームシェアしているのはアイコさん。彼女もイタリアが長い(グッチで働く奈良人)。
俺は今回ローマが見たくて寄った訳ではない。観光は前回終わっている。マサさんと会って話してみたいが為のローマ訪問だった。3人ともかなりウェルカムだったので、遠慮抜きで肩の凝らない会話を楽しめた。特に初日の夜の会話の進まなさには笑えた。なんせ質問に答えようと3分も話せば、そこからさらに次の質問が生まれ、それに答えているとされに別の質問に変わり、「ワタシの場合は、 いや実は俺もそんな事があって、、」とガンガン脱線。肝心な質問の答えとはほど遠い所で最終的に皆で大笑い。旨いメシと酒も手伝い、皆で大いに楽しんだ。こんなにリラックス出来るのはヨーロッパに入って以降なかった。なんだか嬉しくなってしまった。
マサさんは俺ら2人をローマの街歩きに連れてってくれるし、サオリさんは体調が優れないにも関わらず毎日食事の用意をしてくれた。アイコさんは貴重な日本食材をガンガン食わせてくれる。本人は「時間も遅いし、一口だけ。」とか言いながら、ラーメンをズルズル食っていた。ソレハ美容ニヨクナイデスヨ。いや、けど本当ゴチソウ様です。ローマッ子が列をなすピッツェリアに連れてってもらい、ナポリに行くと言えば電車の時間から観光、旨い店、「自称語学フェチ」Masaの簡単イタリア語講座まで完全レクチャー。俺らはカタコトイタリア語でバカウマの「Pizza Margherita con Mozzarella di Bufala(水牛のモッツァレラのナポリ風マルゲリータ)」を食らった。俺は食器の一つも洗わず、ただただ旨いメシをくらい、自分では何も調べず聞いてばかり。バッグパッカー的に見ると「いや、何から何までなんだか悪いですよ。」となるが、ここはひとつ、「遠慮するのはもてなす側にも失礼。思い切り楽しませてもらって、次の機会に必ず返そう。」とまー都合の良いように考え、やたらと気楽なぐうたら生活をさせてもらった。
そのローマで一番興味をひかれたのは、「海外で働く日本人。」これだ。
海外に働きながら住む。他国の文化や人を受け入れ、自分もそれに溶け込もうとする。けれどもやはり日本人として生きている。というより生きていかざるを得ない。バッグパッカーでもそうだが、海外に出ると自分が日本人である事をいやでも自覚させられる。良い所も、そうでない所も。だからこそ余計に、いくら離れても、やはり自分を見る時には日本を基準に、そこから線を引っ張って見ているんだと思う。
バカ笑いもしたし、考えさせられもしたローマ。
前回、トレビの泉にコインを投げながら、「ま、こんなん一生に一回やし。」とか言ってた俺は、まんまとローマに戻って来た。全ての道はローマに?また来るのか?一応今回もなんとなくトレビの泉にコインを投げておいた。 |
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