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NO.3 ラマザン(断食月)に モグモグしながら 考える −トルコでの一日− ( 2005.10.07 )
5日からラマザン(断食月)が始まっている。昼間 開いてるレストランもやる気なし。夕方前になると皆そわそわし出す。5時にはもう店もほぼスタンバイ完了。表には店特製お持ち帰りセットが並び、夕食に備えて、帰宅前の買い物客もやってくる。店の前には、まだ一時間あるというのにすでにおっさん達が立って話しながら待っている。なんだか微笑ましい。いいねいいね、つーか本気で腹減った。俺は朝、日の出後に起きて部屋で朝食を済ませるが、昼食は抜き。やはり夕方6時のレストランオープンを待つ。





ドウバヤジットは非常に居心地がよろしい。ヒトも優しく、どこを歩いてもオヤジに、少年少女ガキんちょーズに、青年達に声をかけられる。歓迎ムード満点なのだ。市場も小さい中にギュッといろいろ詰まっててイイ。今日なんて4日目にしてやっとアララット山(ノアの箱舟が漂着したトコらしい。)にかかっていた雲が晴れてなお具合がイイ。二人部屋を一人で使って、しかもアララット山が拝める特等席。6時に目覚ましを合わせておけば、カーテン開けるだけで朝日の差す、富士山みたいなアララットが見える。昨日の夜中、本を読んでいたら停電。外は真っ暗。窓を開けて夜空を眺めると人工衛星に流れ星に、またしても天の川。で、寒いので適当に切り上げて気分良く眠りに就く。いい夢見れそうだ。





さて、昨日は夕方4時に地元高校生達と町裏の小高い丘で待ち合わせしていた。一昨日そこで出会い、トルコ語をレクチャーしてもらったり、なかなか楽しかったついでに、昨日も会う約束を。しかし、そこへ向かう途中トラベルエージェントのおっさんに捕まる。何も書いてないノートを出してきて、イランの事を何か書け、とうるさい。俺は情報ノートにも書き込みとかしないのだ。しかし、情報ノートまがいのモノを作っておけば日本人が集まるというその発想はアタリだ。記念に「イラン人は馬鹿も多いがナイスミドルも多い。きばらず楽しめ」的な情報とも言えない間の抜けたアドバイスを書いてあげた。しかし、国境でトラベルエージェントに入る奴はいるのか?だってトルコから来た奴らはもうバス乗ってイラン行くだけやん。まーおっさんが嬉しそうにしてたのでヨシとしよう。





そこにいた英語の達者なジェントルから声がかかる。「お前腹減ってんのなら、無理する事はない。4時すぎだがレストランで食わせてもらえ。大丈夫だ誰も怒らんさ。」そこで俺はカッコつけて、「いや、俺はラマザンをしてるムスリム達を見るのはなかなか気に入っている。どうせあと2時間だから俺も皆と一緒に待つことにするよ。」。するとジェントル いたく俺を気に入ったらしく、「よし、じゃあ今晩は俺と一緒にディナーといこうじゃないか。今親戚のウチに厄介になってるんだが、お前もそこで一緒にどうだ?トルコの家庭料理食ったことあるか?トルコの事やムスリムの事も教えてやるぞ。」」「いや、まだイランから来て3日目だからロカンタでしか食ってないよ。けど良いの?邪魔じゃない?」「ノープロブレムだ。じゃあ決まりだ。」





という訳で高校生達との心温まる再会を捨て、俺はジェントルの親戚宅で夕食をご馳走になる事に。しかし、途中まで来て少し不安になってきた。トルコは睡眠薬強盗が相当有名らしい。今更断れないし、けどやっぱ家庭に御呼ばれされる機会もそうそうないだろうし。俺は念のため?用事がある、といったん宿に戻り、部屋にマネーベルトを置き、カメラも持たずに再び、少しウサン臭い?と思い始めたジェントルと合流。途中「我々はゲストなんだから手土産を買うのが礼儀だ。」とでかいスイカを買ったが、代金はジェントルもち。後で俺の身包みはがすつもりか?とか思いながら、スイカ持ちつつ一緒に歩く。オフィスらしきところで夕食の準備が出来るまで一休み、との事。伯父さんがやっているという印刷屋らしく、裏でインターネットまでさせてくれた。ここでやっと俺は名前を聞いた。スレイマン氏。俺もやっと自己紹介。けど、名前も聞かず夕食に招くとは。ますます怪しい?



待つこと30分ほど、俺とスレイマン氏、スタッフも皆外に出て店に鍵をかけ始める。スタッフ皆いいヒト。こいつらが、その親戚だったら良いな、と思っていたらそれがアタリ。スタッフの女の子とおっちゃんは親戚家らしく、家まで案内される。シンプルで綺麗な家の庭ではチビ犬がやんやん。この辺りでやっと心底安心した。疑るのは好きでないし、体にも良くなさそうだが、なんせ俺は自分の貴重品を全部背負って一人で異国を旅する身。イヤでも慎重にもなろうというものだ。そこは許して頂きたい。





家の中は設備抜群でとても綺麗。すでに奥のダイニングには料理がガンガン運び込まれている最中。家族の歓迎を受け俺もソファで待機。6時10分前に「そろそろテーブルにつこう。」と声がかかる。10分間お祈りか何かあるのかしらん?とか思ってたら即行で夕食開始。エエー?!6時まで待たんのかい!しかし細かい事は気にしない。自分の取り皿に料理が入れられる。



メニューはサラダが2種類に、野菜と肉のシチュー煮込み、フレンチフライに、薩摩揚げみたいなの(牛肉だそうな)。それにバターライスにチャパティ。デザートにフルーツポンチ?的な冷たいスープ。コーラもお好みで。ここは素敵な食卓、あまりがっつくのもイタダケナイ。少し気を使いつつ初めてのトルコ家庭料理をいただく。ウマイ、どれもこれもウマイ!腹が落ち着いて来た所で、ラマザンや日本の食文化との違いについて気の利いた会話を少し。スレイマン氏が通訳に入り、俺との会話を皆に伝えるカタチでなごやかムードの食事は進む。ちなみにスレイマン氏曰く、このラマザンの意義は、「いつも満腹に食べていると、食えない人達もいることを忘れてしまう。だから空腹感を味わう事によって、仕事も金もなくて飯がロクすっぽ食えない人達の事をちゃんと考えるようにする。これだよキミ。」「日本にも1週間だけでも導入すべきだね。そしたら皆食べ物を大切にして、誰か他の人達にも優しく出来るんだけどね。日本人は皆が平等だと考えてる人が多いンだ。これが普通だって。まずは自分達が世界において稀に見る恵まれた環境にあるという自覚を持たないと。」これには皆さんウムウムと賛同の様子。





驚いた事に、あれだけ待ちに待った食事は20分で終了。皆食うペース速い?いや、思ったより食ってない。俺がフルーツポンチを食らう間 皆さん、席を立たずに待っていてくれた。いや、美味かったッス。その後もリビングではチャイだの、ケーキだのを戴きながらしばしのんびり。





トルコ家庭の夕食に招いてくれた上に、いろいろとムスリムに関する知識もくれたスレイマン氏。俺を宿まで送ってくれる途中にこう言った。「私は40カ国以上の国を見てきたがね。その国の町のどこかで一人のジェントルマンと出会えれば、その国では旅の全てがいい方向に向かうもんなんだ。」 ちょっとカッコエエやん?



俺も誰か日本に来たら、絶対飯とか食わせてもてなそう。



で、俺も同じ台詞吐いてみよう。とか思った。有難うMR.スレイマン。







ラマザンとは言わないまでも、何かしら自分の身で誰かの辛さを感じられる習慣をひとつ日本でも作ってみてはいかがなものか?と俺は提案したい。痛くもないはした金でゴムバンド買って、それだけで「良い事したわ。」なんて満足してちゃ駄目なのです。勿論実際に金が物資に変わり貧しい人達に届くのは良いことだ。しかし、全ての苦しみの根源は人間の欲や無関心等、俺達のココロから来ている場合がほとんではないのか?自分が身を持って体験する事から来る教訓は大きい。だからこそ、流行でなく、そういった目の前にいない誰か他の人達への「ヤサシイキモチ」を持つためのキッカケが要るのではないか。ラマザン。俺は気に入った。出来るだけ付き合うよ。出来るだけね。



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