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Column Last up date:2005.10.07 |
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Varanasi滞在記 vol.6 「日本じゃ見えない」 |
2005年1月11日 |
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数日前にベンガリートラ通りで小犬の死体を見た。それを母親らしき犬が、左足の太腿の辺りの皮をはいで食べようとしていた。夜になったら、小犬は頭と腸を少し残すだけの姿に変わり果てていた。良く行くチャイ屋にいた黒い小犬は肩が張れあがり、それが破れて膿が出ていたのだが、昨日の朝 知り合いが死んでるところを見たらしい。
インドでは人との接触を避けることが出来ないのと同様、ここバラナシでは牛や犬とも付き合って行かなければならない。犬達もまた飢えている。少しの食べ物を取り合って、大きな犬が小犬を噛み、吠え、威嚇する。栄養を取れない小犬はどんどん死んでいく。けど、小犬の数は一向に減らない。死んでいくのと同じ、それ以上に生まれているのだ。
食欲、性欲、睡眠欲というのを良く耳にするが、やはり最終的に残るのはこの本能的な3つなのかもしれない。そして、他の欲望が薄れ、最後に残ったたった3つであるがために、それはあからさまに色濃く目に映るのだろう。親が子を食べ、それでも子供を生む。今まで目にしてなかっただけで、それは、親が子を育て、守る。それと同様に、当たり前の自然(それが人工的な街の中であっても)の営みなのかもしれない。日本の様な、奇麗なモノと汚いモノを整理し、「見たくない部分は隠してしまう」文化の中ではそれは見えて来ない。
ガイドブックに「インドはその生があからさまであるのと同様、死もあからさまである。」とある。それは人間だけでなく全ての生き物に共通する。バラナシ 色々と考えさせられます。少しずつ、時間をかけながら噛み砕いて、自分の中に吸収していきたいと思う。 |
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