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Column Last up date:2005.10.07 |
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シュムリアプは遺跡だけじゃない。 |
2004年11月14日 |
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街の中にある病院で無料のコンサートがあるというのを聞いて、行ってみた。病院の創設者のお医者さん(スイス人)がチェロを弾き、その合間に、小さな子供達に対するカンボジア医療の現状を語り、短いフィルムを見せてくれた。この病院はその経費の90%が募金によって運営されている。だから募金と献血を募っているのだ、と。俺は献血を(ここでもTシャツを貰える!)申し出たのだが、前回の献血から3ヶ月経たないとダメらしく、断られた。残念。次カンボジアに行ったら真っ先に献血しようと思う。
次の日アンコールの近くにある地雷博物館に行ってみた。ここはアキー・ラさんが個人でやっている博物館であり、5000個以上の撤去された地雷は全てアキーラさん自身の手によって撤去されたモノ。
アキーラさんの人生はそのままカンボジアの戦争の歴史に直結する。彼は幼い頃にポルポトによって両親を失い、クメールルージュの兵士として、後にはベトナム軍の、そしてUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構 )の一員として働いてきた。館内には日本語の説明文もあり、非常に勉強になる。募金も兼ねて、彼の人生を描いた冊子とTシャツを買い、本人に「勉強になりました。これからもがんばって下さい。」と握手を求めると、閉館後にここで預かっている孤児達が演劇をやるから見て行かないか、と誘ってくれた。一緒にいたリョーセイ君と俺は腹が減ってるのも忘れて劇に食い入った。
地雷によって、親、自分自身の腕や足、目など体の一部を失った子供達がアキーラさんの元で暮らしている。その彼らによる、カンボジアの歴史を描いた劇だった。まだ練習中で、来月には完全にしたい、との事だが、それでもいい演技だった。見ていて何故だか泣けた。それは同情でもなく、彼らのけなげさでもなく、戦争への怒りでもなかった。よく分からないが、今考えると、ただただまっすぐに前を見て生きている、その姿勢に胸を打たれたのかもしれない。彼らに悲壮感はなく、変わりに、限りなくポジティブで、溌剌とした笑顔があった。
劇中の最後の方 ポルポトが死に、戦争が終わり、同じ村でありながら昨日までポルポト派、政府側に分かれて戦っていた兵士達が、農民達と手を取り合い、一緒に踊るシーン。俺は一人の男の子に手を取られ、残るたった5人の観客と、大勢の子供達と一緒に踊った。その後、いくつか子供達の地雷体験を描いたショートスト−リーを見た後、幕は降り、そして最後に再び皆で踊った。右手と、左手の3本の指がない女性と手を取り合って踊ったのは初めての経験だ。小さい子が来たので「高い高い」してあげた。すると他の子も大勢やってきて、もう大変。キリがない。彼らも他の子供達と同じなのだ。全力で遊び、疲れたら寝る。一時でこそあれ、何も心配していないように見える無邪気な姿を見て、「これが子供の本来あるべき姿だ」と思った。汗だくになってバイタクで帰ってたらまた腹が減ってきた。けど、こんなに気持ちの良い疲れは久々だ。
戦争は終わったが、それでも大きな影響が今も濃く残っている。
いつかシュムリアプへ行く人には「地雷博物館」へ是非行って欲しい。 |
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