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Column Last up date:2005.10.07 |
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ポルポト政権時代、その処刑場として有名なキリングフィールドと、20000人が収容され、生存者はたった7人だったというトゥールスレン刑務所を見学した。
ベトナム戦争時の混乱に乗じ政権を握ったポルポトは、首都プノンペンの全住民を数日のうちに農村へと追いやり、過酷な労働を強いた。また一切の宗教活動を禁止し、通貨も廃止。無計画に灌漑水路を掘削したために、農業は大打撃を受け、深刻な飢餓が国民を襲った。また反政府的な行動を取った者やインテリ層を中心に国民を次々と殺害。その数は、1975年から79年のベトナム軍侵攻までのたった4年間で200万人以上にのぼった。
トゥールスレーン刑務所は元は高校だった。校舎は改造され、多くの独房に代わった。校庭では拷問と殺害が繰り返され、「Study」という言葉は死を意味する隠語であった。79年に解放された時には14人の遺体がベッドに縛り付けられたまま放置されていた。現在は博物館になっていて、その部屋には発見された当時のベッドや、足かせ等がそのまま展示されており、発見当時の遺体の写真もある。教室を改造した独房も当時のまま、まだ血が残っている独房もあった。
収容される者は番号札を首から下げられ写真を撮られる。その膨大な数の顔写真とともに、殺害後の写真もいくつも展示されていた。本当に老若男女関係なく無差別に殺害をしていた様子がよく分かる。ベトナム戦争のパネル写真なんかよりもずっとリアルで、脱力感さえ感じる程重苦しかった。
キリングフィールドは有名な処刑場で、掘り起こされた8000の頭蓋骨が慰霊碑の中に収められていた。地図を見る限り、発掘作業がまだ行われていないエリアも多い。小さな沼のような窪みが多数あり、当時の写真ではその窪みに山ほど人骨が積まれていた。殺すためだけの場所。手を合わて祈るだけがやっとだった。
たった20数年前の話。
あの幼い少年が生きていたら、きっと俺と同じ年代の若者だった筈なのだ。あまりにも近い、暗い過去。嫌悪感さえ感じるほどの生々しさが残るうちに見学出来た事は、俺にとって良い勉強になりました。これをちゃんと活かして、次へ進まなきゃ。でないと駄目になるよ。人間ってのは。
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